君のスケッチ帖

いたいけな中年がマンガを描いたり本を読んだりするブログ。

三好銀『もう体脂肪率なんて知らない』


 三好銀さんの連作短篇集『もう体脂肪率なんて知らない』を読んだ。読んでいる最中ずっと、ゾワゾワするさざなみみたいな感覚が満遍なく肌の辺りに心地良く漂いつづける、そんな印象を覚える作品集。この空気感がなんとも言えず素晴らしい。(タイトルも最高だ。)
 これまでの作品同様、この短篇集で語られる各エピソードにも、三好さんの作品に馴染み深い、例の、胡散臭い詐欺師とか愉快犯とか占い師みたいな身元の怪しい人物たちが続々と登場してきてめちゃくちゃ楽しい。(そもそも連作の主人公であるルームシェアしている若い男女、この名前すらわからない二人からしてすでにじゅうぶん怪しい)。幽霊なんかも出てくるけど、そういえばこれ以上三好作品に相応しい題材はないと思われる幽霊譚も、記憶にあるかぎり、これまでの作品ではまったく触れられることがなかった気がする。

 万屋のような詳しくはよくわからないアルバイトで生計を立てている若い(10代)の青年とベビーシッターをしている20代と思しき女性、この二人の日常の点景が淡々と綴られていくわけだけど、どこかしら夜の採石場から流れてくるザラザラいう石のなだれる音にも似て、あたりの風景にはザワザワとした気配、静かな騒音みたいな空気が終始漂っている。人物たちがとるその時のいちいちの行動や行為、その場の状況の推移といったものからも、動機やあてどなんかがすっかり失なわれてしまっており、筋の大きな局面から見ればいちおうは理解できるそれらの情景の語るものも(「それはバイトにおけるその日の業務内容らしい」)、しかしその肝心の具体的で細かな描写の次元ではけっきょく何がなんだかよくわからない(「でもそれがいったい何の役に立つというのか?」)、ほとんど無意味としか思えない、しかしやたらと不穏な活気にだけ充ちみちたものとなる。それらは、ありそうでない出来事、というより、なさそうだけどある(だけど事実としてはけっして出くわしたことのない出来事だという)、そんな感じが強い。そうして、そこで語られる出来事の数々は、作品を、ファンタジーや絵空事というより極度のリアリズムに近づけているようにも思われる。日常の大筋を書き留める備忘録や日記といったものなんかからは不可避的に零れ落とされてしまう、無数の「その他もろもろ」だけからなるような膨大な砂粒だけでできた人生の余白の時間、そんな感触がものすごい。いわゆる「不条理」とかいうわけではけっしてなく、しかし圧倒的な意味のわからなさが三好銀の作品をのっぴきならないものにしているようにも感じる。

 エピソードのなかで何度か繰り返し口ずさまれる「砂糖楓の丘」という短歌形式の歌の歌詞があるけど(「夏はそこ/砂糖楓の咲く丘は/甘い香りと優しい君の/笑顔がいつもあふれてる」)、仮に三好銀さんを「マイナーポエト」みたいに称することができるとするならば、それは、そこで披露されたような歌の叙情性によるものというよりも、それ以上に、その歌や言葉の力によって、人を、彼らの人生の余白の時間に引き戻すことによってこそそう呼ばれるのが相応しい、という気がする。
 何時、誰が、どこで、誰に向け、何を、どんなふうに、みたいなコミュニケーションの基本になるようなカテゴリが脱臼させられた形でしか歌は歌われないだろうし、言葉やメッセージも発信されることがないように思う。ある時は配水管の底から流れ出るラジオの人生相談の声として、別のときは天井から、また夢うつつの中で、ラジオパーソナリティの声を通じ、あるいは顔の見えない何者かがステージの上から、時には知らぬ間に自身が口ずさむ格好で、登場人物たちの午睡にも似た余白の時間を呼び戻すために、歌声が響くことになる。夏に咲くという砂糖楓の丘を指差しながら、歌声は繰り返し響くけれど、しかしけっきょくのところわたしたちにはその意味するところも意図も正しい宛て先すらもよくわからずその言葉を受信することになるんじゃないないだろうか。事柄の意図や宛て先、歌の主体やその受け取り手の位置といったメッセージの含むべきもろもろのカテゴリ的な意味合いは、自動化された定型的な韻律の彼方に突き抜けてしまうか、あまりに秩序を欠いたアクシデントに常に巻き込まれる格好で歌のはるか手前で躓いてしまい立ち上がることがない。叙情はこのブザマさに付き従う形で照れ隠しをするみたいに後からやってくることになる。その限りで三好銀の詩情といったものを認めてもいいように思う。
 きちんと耳を澄ませば確かに、誰の日常にも、そういう宛て先も意図もわからない歌の数々が溢れていることに気づくことができるだろう。三好銀の作品は接するごとにそういった日常の底流を流れるような見知らぬ感触を思い出させてくれる。見知らぬものを思い出す。三好さんの作品に濃厚な夢に近い空気の質感はそこらへんからも来ているのかもしれない。
 
 自分でも口ずさみたいから、「砂糖楓の丘」の歌の歌詞を引用しておく。いちおう3番まであるみたいだ。


《夏はそこ/砂糖楓の咲く丘は/甘い香りと優しい君の/笑顔がいつもあふれてる
 
 夏が来て/砂糖楓の木陰には/君が優しくささやく声と/少しの木漏れ日ゆれている
 
 夏が行く/砂糖楓の丘を下る/甘い香りと君の笑顔を/忘れられずにふり返る》