君のスケッチ帖

いたいけな中年がマンガを描いたり本を読んだりするブログ。

スケッチ1枚

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 今日からスケッチブック2冊目へ。

 子どもを描くのがけっこう楽しい。単純に形や線がシンプルなのがいいんだと思うけど、我が事ながら、描いていて次第にシルエットが紙の上に浮かび上がってくる様子を見ているとなんだかあたたかい気持ちになれるってのもある。いわゆる感情移入というやつだろう。
 もしタイムマシンに乗れるんだとしたら、ぼくは過去の小さかった頃の自分に会ってみたいと希望するような気がする。会って、見知らぬ楽しいオッサンとして小さい彼の記憶に残るような、そんな接し方をしてみたいと空想することがある。

 ……子どもを描いたマンガとして印象に残っているものがふたつあって、ひとつは高野文子さんの「黄色い本」、もうひとつは本秀康さんの「ヒコの旅立ち」という作品で、両作それぞれに異なる感触と特色があるけど、いずれもたいへん秀逸な作品で忘れがたい。

 高野さんの「黄色い本」に登場する「留ーちゃん」という女の子は家族や親戚たち周りの大人たちにあたたかくそっとくるまれてるといった印象が伝わってきて、そのしぐさとか言動は見ていてほんとに楽しい。子ども特有の、体幹がまだ出来上がっていないぐにゃぐにゃしてたり無軌道だったりする動きが、絵として巧みに表現されていて舌を巻く思いがする。(高野さんにはもう一作、印象的な子どもの立ち居振る舞いやたたずまいを描いた作品があって、それは「CLOUDY WEDNESDAY」だ。ここに登場する二人の女の子たちのしぐさもものすごく魅力的に描かれている)。

 本さんの「ヒコの旅立ち」の主人公の男の子はといえば、こちらは世界の冷気に裸でさらされて震えているかのような印象で、その寄る辺のなさ、いたいけで無垢な剥き出しの弱さみたいな感触が、やはり子どものまとう特有の空気をよく伝えているように感じる。高野さんの子どもは達人の仕事と称して差し支えないような巧みな線によって描かれているけど、本さんの子どもは、それ自体が寄る辺なさや頼りなさを語りだすかのような、ものすごくつたない、まさにもじどおりに震える筆致で描かれる。(もちろん、本さんの描く絵はものすごく上手い。「つたない線」というものをめちゃくちゃ巧みに表現していて、この流儀で匹敵するのは杉浦茂さんしかいないんじゃないかとも思う)。

 たとえばあずまきよひこさんの『よつばと!』なんかは大好きなマンガなんだけど、見ていてもあの「よつば」の様子からはちょっと感じ取れない子どもの動きや雰囲気というものがまだ確かにあって、そのような言葉じゃうまく表現できない独特の質といったものが、高野さんや本さんの描く子どもからはざっくりと的確に捉えられているように感じられる。世界に立ち会うにはまだ充分には強くないもの、弱さからいまだ完全には抜け出していないもの、そんな存在の在り方として描かれる子どもたちの姿として、「留ーちゃん」や「ヒコ」を強く心に残る。

 あずまさんの「よつば」に関しては、言葉や論理が勝ちすぎている、という印象がある。「よつば」の様子を見るのはすごく楽しいんだけど、あれは「認識」のような強くて頼もしいものを子どもが初めて入手する際に起こるイレギュラーなできごとを魅力的に描いているもので、それじたいとしては大人である私たちにも充分理解できるものになっている。その意味で、「よつば」の巻き起こす個々のとんちんかんだったり変てこな言動は、大人である私たちの論理や認識の、すでに克服された裏面みたいなものであるように思う。大人はそれを忘れているだけで、それは実は、充分よく知っていたはずのものだ。「よつば」のすることはだいたい後付けとして説明できることだし、それが言葉とか認識とかいったこの世界における「強さ」といったものにいずれにじかに繋がる、いわば過渡的なトライアルアンドエラーの産物であることもよく理解できる。要するに「よつば」は強いと思う。たとえば、あの子がこの世界のどこか知らない裏側にポンと投げ出されてしまったとしても、その場所でその日から、平気で笑って楽しく生きていくという感じがする。そういった強さ、逞しさは確かに子どもの持ち分ではあるけど、それとは正反対の弱さや頼りなさ、わけのわからなさ、あるいは取り返しのつかない失敗をする可能性にさらされているという危うさといったものなんかも子どもの属性として備わっているはずで、高野さんや本さんのマンガはそういったものを描こうとしていたのだろうと想像する。それは認識や言葉のセンスにまつわる問題なんかより、主題としてはずっと難しいもののようにも思う。つまり端的に、わたしたち(大人)は、それを思考することによっては思い描くことができない。それは目撃することによってその空気にじかに掴まれる、というような直接的経験によらなければ容易には思い出せない身体の揺らぎとか空気の震えみたいなものなんじゃないか、と感じる。

黄色い本 (アフタヌーンKCデラックス (1488))

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たのしい人生完全版

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