君のスケッチ帖

いたいけな中年がマンガを描いたり本を読んだりするブログ。

優しい嘘をついてくれ

 おおまかなペン入れを終えたところまで。仕上げはこれから。壁紙もこれから。


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 下書きの段階ではピーターの顔をなんとか切り抜けたと思っていたけど、ペンを入れたらそうでもない結果があらわれて我ながらガッカリした。

 ピーラーで原稿の薄皮を一枚剥くという感覚がして、ペン入れ原稿に消しゴムをかける作業はけっこう気持ちいい(手間ではあるけど)。下書きで薄っすら煤をかぶって汚れたみたいな状態の原稿から、それがピカッとした新品の白紙に近い状態に戻るさまをじっくり見届けていく過程が気に入ってるんだけど、そうして現われてくるそれまで隠されていた線自体は、おうおうにして、事前に思っていたような満足いくものとはだいぶん異なって、残念ながらそこにガッカリ感を覚えざるをえないような不出来な結果である場合が多い。「こんなはずじゃなかったんだけどなあ……」という具合がしばしばだ。
 シャーペンで描かれて何度も手やら道具の移動やらでこすられた線はグレーのトーンが散って精度そのものがグッと低くなっており、それを見ている視線は、しぜんと、その線というよりグレーの分散した領域から、おのれの嗜好とか審美眼にとってもっとも好都合な「線」を補正的に選んで、その(ほんとうはありえない、というか、「まだ」ありえていない)「線」を、現実に紙の上で実現された線として錯覚的に脳内で実現させてしまっている、と、こういうことなんだろうと思う。下書きの線がトリックをしかけているということなんだろう。そのおのれの視線のしかけたトリックに、おのれの視線自体がひっかかってしまっているので、ペン入れで現実に実現されたほんとうの結果である線にビックリしてガッカリする、ということだと思う。
 しばしば下書き原稿が完成稿よりひとを満足させがちである事実は、おおむねそういう事情によるものなんだろうとは思う。気をつけたい。